お正月も終わってしまいましたね。皆様のお正月は如何でしたか?楽しかったですか?よく食べ、よく飲みでお太りになられた方はいらっしゃいますか?ともあれ、2020年、令和2年、子年が始まりました。今年はどんな年になるのか楽しみですね。
さてお馴染み『そりゃ誰もが気楽に生きたいさ』。今回は私の2020年、令和2年のお正月がどの様なものだったのかについて執筆したいと思います。

2020年 令和2年 お正月
まぁ、お正月といえども私にとっては何の変わりもない普通の日々でした。1月1日のお昼前に一度実家に帰り、お節料理(の様なもの)とお雑煮を頂き、それだけです。後はお友達からの「明けましておめでとう」メールのやり取り。以上。
本当、それだけでしたね。1日目の家族以外は誰にも会いませんでした。私はここ何年も初詣も行っておりませんし、少し体調も崩していたので殆ど外に出る事なく、最低限の食料確保の為の外出のみでした。
ただ、思った事は、「ああ、また同じ様な苦しい一年が始まるのか」というくらいでしょうか。新しい年の抱負なんて、考えるだけ無駄ですし、そんなミッションを自分に課してしまうと余計にプレッシャーを感じて悪化する事もわかっている事なので、皆さんが「今年は〇〇をやる」とか「今年こそは〇〇を叶える」なんて言う目標など私にはどこ吹く風〜。日1日を過ごすのがやっとの私なのだから。

そんなこんなで、普段と何も変わらず、特に言葉を発する事もなくお正月は終わりましたが、一つだけ、また両親の(特に父)の心無い、そして今までの事を全て棚に上げた発言が飛び出したのでした。きっかけは下らない事でしたが、彼は全てを私の責任にしました。そう。全てを。PCをアップロードしてあげた私に向かって「お前のせいで使えなくなった」「全部お前のせいだ」。この彼の発言は確かにPCについてだけの事だったのだと思いますが、私にとっては、今までの事に目を瞑り、普通に接してあげてきた上にPCまで、面倒を見てあげて、「何故あんたが私にそんな事言えるのか?」と激怒の感情が燃え上がり、罵倒して一方的に電話を切りました。
やはりもう二度とあの両親にはかかわらない!!そう言う思いからまた鬱のトンネルに入ってしまったのです。わたしが甘かった。目なんて瞑ってあげる必要は無かった。どんなに両親が聞きたくなかろうと、彼らがわたしにした事を常に言い続ける必要があったのだ。でなければ、彼らはわたしにした事を棚に上げ、私を奈落の底に再び突き落とす。
限界を超えていました。私は怒りも呆れもなく、ひたすら私自身が消えて無くなりたい願望に取り憑かれたのです。幸い、自殺未遂などは起こしませんでしたが、その日から、お薬のOD、お酒、などで、気をまぎわらせ、今もこの、消えて無くなりたい願望と闘っています。あの人達は一体どこまで私を苦しめれば気が済むのか?せっかく、平和な毎日に戻りかけていたのにまたあの人達のせいで闇に戻ったのですから。

明日は結局、両親の尻拭いをしなければなりません。もう、一体私は何をしているのでしょうか。。。全ての感情が涙に変わってあふれて止まりません。自分が自分である実感がありません。これ程現実感のない事も珍しいです。何を食べていいのかわからない。何をしていいのかわからない。何をどう思っていいのかわからない。とにかく何も決めることができないのです。そして、何の感情もないのです。
今の私がたった一つねがう事。「消えたい」。。。。でも、それではいけない。それはいままで、散々苦しんで学んできた事だから。それだけはしてはいけない。
人々の考えが変わるのはいつなのか
第二次世界大戦後、日本は本当に変化を遂げました。しかしながら、やはり一番変化のスピードが遅いのが『人々の考え』なのだと、両親を見ているとつくづく感じます。どうして謙虚に、そして素直になれないのだろうか。。。年齢を重ねたからこそ、時の流れを受け入れ、上下関係なく学び合う姿勢がなぜないのだろう。これもまた、日本が愚かな過ちを犯してしまった天罰なのでしょう。けど、世界も、そして日本も変化し続けているのです。年齢を重ねたからと言って、どんどん頑なになるのはやめていただきたい。新しいことを素直に受け入れ、常に学んで頂きたい。それでなければ私達日本の進むスピードが遅れてしまうということに早く気づいて頂きたい。人もまた変化し続ける必要があるのです。
Aya