パートナーシップ 

それぞれ

仕事から得る喜びと、国の事情

 ヨーロッパのリゾート地、マルタで宿泊施設をパートナーと本格的に営み始め、世を騒がせたパンデミックもおさまり、経営は順調。しかも世界中からお客様がいらっしゃったので、其々の国の人達を見、「ああ、この国のこの地域の人達は今、こんな風になっているんだ」等と、最初は軽く感じていました。その内に、その国の地理によって進み方が違う事にも気づきました。どこの国に、どれだけの「日本」が浸透しているのかを探り、お客様に対して私なりの日本の誇る「おもてなし」が出来る事が喜びでもありました。そして、パートナーの国「イタリア」が民主主義でありながら、衰退の途を辿っている事にも気づいていました。昔々、置き去りにしてきてしまった問題「宗教」が国の前進を阻み、もう動けなくなってしまっているのです。国が動けないので人々の力だけで進むしかないのです。

 人々は政治、経済、全ての滞りに不平不満を募らせ、それでも国は動けない。そして、彼らは諦め、もう堕落さえ始まっています。その上、他国の文化も浸透せず、人々の頭を凝り固まらせてしまっています。民主主義でありながら、人々の心は鎖国状態とでも言ってもおかしくないと私は思います。ドイツを始めとする EU (Europe Union)がどこまで維持できるのか、それはこれからの他国の発展具合と世界の状況によるでしょう。しかしながら、自分で少しも進めない国に残された人々の考えは纏まることはなく、どんどん頑なになっていくのではなかろうかと、感じるときがあります。国の持つ力とは、なんと恐ろしいものか。

私は日本人です。世界における日本のパワーが如何なるものであるかも、改めて実感しました。と同時に、どんな事があっても最期は日本で迎えようと心に決めたのです。これもまた国の持つパワーであり、これこそが「愛国心」であることも身に沁みて実感致しました。

何故?

混乱と戦い パートナーには伝わらない私の愛

 初めは穏やかな日々でした。本当に沢山の彼の愛情を感じることが出来ました。しかし、私は私の生活スタイルを作らなければなりません。その為にはまず自分で必要な物や事に気づき、そして物であればそれはどこに行けば得られるのか情報を集め、事であれば説明の筋道を作り、それらを話して納得してもらい、ゆっくりと生活基盤を整え始めました。

仕事は楽しかったですし、私は元来、不平を口にするタイプではありませんので、彼がどんなに一人でイライラして文句を言っていようと、叫んでいようと、何も言わず、淡々とすべき事をこなしていました。

 しかし、彼の苛立ちはどんどん増し、全てを私にぶつけて来るようになりました。最初は何を言っているのか理解するのに必死でした。でも彼の口にしたことに対して答えようとしても彼は聞く耳を持たず、どんどん違う方向へ話が進んで行きました。

 色々な原因を探りました。言葉の壁、文化の違い、性格。言葉の壁については、数個の単語の、日本語、英語、イタリア語の擦り合せも試みました。少しはそれで解消した部分もありましたが、根本的に何が原因なのかわからないまま日々は過ぎ、遂に、彼の苛立ちが爆発し始めました。

仕事の不満、私への不満、生活そのものへの不満、全てを私にぶつけ始めたのです。仁王立ちになり、大声で怒鳴られました。その彼の口走った事に対して答えても完全にスルーされ、次から次へと話を変え、遂には、私を嘲笑するところまで突き進んで終わる。そして数日間の険悪。数日間の緊迫した日々。その繰り返しでした。勿論、私は毎日ビクビクして様子を伺いながら、仕事や家事をこなし、毎日を過ごしていました。おそらく、私も恐ろしさを隠しきれていなかったので、彼から見ると私が勝手に機嫌を悪くしていると思っていたのだと思います。それでも、私は謝りませんでした。耐えながら、解決策を模索し、毎日が戦いでした。「もう無理だ」と確信した私は、先に日本へのチケットを買いました。ほとんどの荷物は、何度も「出て行け」と怒鳴られていたので、パッキング済でした。私はここからの脱出を計画したのです。最初は夜逃げをするつもりでした。しかし、後日、彼が落ち着いているのを完全に確認してから、私の父の病状が思った以上に良くない旨を理由に日本に一旦戻ると伝えました。

前述の通り、私達が営む宿泊施設には世界各国からのお客様がいらっしゃいます。余暇を楽しむために来る方、目的があり現地視察の為に訪れる方、又、色々な事情のあるお客様もいらっしゃいます。明るみに出ているところで言いますと、ロシアの事情からの方もいらっしゃいます。勿論、パートナーの国の方もいらっしゃいます。それぞれの人達を見て、伺い、話し、少しずつ私のスタイルと今の彼の望むスタイルの違いがわかってきました。文化の違いと言えばそれまでなのですが、それ以上に彼の「私を離したくない!」と言う強い愛が根底にあるという事に気づきました。不安だったのでしょう。元来、私はあまり口数の多い方ではありません。むしろ少ないと言って良いです。しかし、私は私の信念というものを持っています。私のスタイルです。その私のスタイルが解らない彼は、私にどのように接して良いのかわからなかったのでしょう。さらに、仕事は黙々と完璧にこなす私に、どうしようもない不安感を募らせていたのだと思います。確かにそれは間違えた愛だと思います。私の説明に耳を貸さなかったのも彼です。私の不安感と混乱を招いたのも彼です。けれども、それ以上に彼は不安で疑心暗鬼に陥いってしまったのだと、気づきました。いえ、気づき始めていました。それと同時に多くのイタリア人のカップルのスタイルには、完璧に疑問を感じていました。何故ならば彼らは常に行動を共にしているからです。私のパートナーもそうでした。彼の友達に彼が誘われているのに、私がそれに参加しないと言うと、ひどく不機嫌になり、何故いかないのか?の繰り返しの反発を受けていて、対処に困っていたからです。

もう一つ、問題の一番根底にあったのは、ある女性の存在です。彼女は、私がこの地で彼と暮らすことになった時、親切に接してくれました。私も彼女を信用しました。「なんでも私に相談してね」と常に言ってくれましたし、「何か悩みはないか?」といつも気にかけてくれているようでした。しかし彼女は私から聞き出した様々な事を全て私のパートナーである彼に伝えていたのです。全て。彼女は勝手に私達の間に入り込み、勝手にスパイ活動をしていたのです。それにより、彼の不安感と苛立ちが爆発したのだという事にやっと気づきました。

ある日、イタリア人でありながら、「イタリア人とは距離を置け」と数週間前にメッセージをくれた女性から家に来ないかという誘いを受けました。私は彼に言いました。「私は彼女に招待されたから行くけれどもあなたはどうする?」と。もちろん、彼も知っている友人の一人だったので彼も一緒に私と彼女の家に行きました。そこで、彼が席を外している間に彼女と私の距離は一気に縮まり、「ああ、普通の女性だ」と私は感じました。後は3人で仕事の話をしていましたが、帰り際に彼女が「日本に帰っても彼のもとに戻ってね」と私に向かって言ったのに対し、私はわざと「わかっている。彼は本当に私を愛していることは、十分にわかっている」と彼の前で答えました。

それ以降の彼は比較的、穏やかで、私の帰国の準備も少しながらではありますが気にしてくれました。帰国するのは父のことだけが原因かどうかも彼の方から私に尋ねてきました。勿論、私自身のリカバリーの必要もあると判断したからだと伝えると反発はありませんでした。しかし、理解はしていないと思います。

国の事情がもたらす人々の感覚の差異

 先程、記述致しましたが、スタイルの違いはあります。別人で、更に男と女という別の生物なのですから。しかし、私は今回、実感致しました。先進国日本と取り残された国イタリアの違いを。

 例えば、「カップルはいつも一緒に行動しなければおかしい」という彼の主張。これは、やはり取り残された国の人々の過去で止まってしまっている考えなのだと。彼は私が彼の友達の誘いを断ると常に自分も行かない、と言います。私は、「あなた一人で行って、誰かに聞かれたら、”彼女は調子が悪い” だとか、なんとでも言えばいいでしょう?」と答えてきました。しかし彼は「嘘は付きたくない」等と、言い訳をします。私は「だったら、私が行きたくないと言っているといえば良い」と言うと、「そんな事は言いたくない。だから僕も行かない」という流れでした。私にすれば、それは彼の自分勝手以外の何物でもありません。しかし、これこそが国の差異なのです。

 パートナーシップにおける「人権」がどういうものなのかという事自体を彼はわかっていなかったということです。

私には断る権利があります。私には選ぶ権利があります。そしてそれはお互い様です。パートナーシップにおけるお互いの権利をお互いが尊重しあい、関係を創り上げけて行かなければなりません。日本においては、そういった主張の行き違いで人権にまで辿り着くような考えの違いはもうかなり少ないと思います。

 しかし、これほど進んでいる日本でも未だにその点をわかっていない人がいます。相手に合わせていれば良い、と逃げ腰の人が多いです。けれどもそれは間違えていると、私は声を大にして申し上げます。正当な理由を持ち、堂々と「はい」「いいえ」を言わなければなりません。そうしてこそ、ニュートラルで健康的なパートナーシップが始まるのです。

そもそも以前より私は、「主人」「家内」などという日本語は絶対に使いませんし、耳にしても違和感しかありません。音としてはなんら問題ないでしょう。しかしこの漢字は間違え過ぎています。男女のパートナーシップにおいては「」「彼女」なのです。私は日本人の皆様には今一度、人権を正しく意識し、行使して頂きたいと節にお願い申し上げます。

 さて、私の帰国の日が迫って参りました。その後の彼は落ち着いています。しかし、今回、私がここに記述した事は、私がここを発ってからメッセージで一気に彼に伝える事に致しました。話を脱線させること無く伝える為です。

「日本」私が恋い焦がれる私の祖国です。その地へ一旦戻り、自身を回復させ、次の希望への準備と今後も訪れるであろう戦いに挑む為にです。

 何度でも立ち上がる。進み始める。何故ならば私は日本人だから。。。。

「人生 公平不公平」次回は日本でお会い致しましょう。

Aya

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