『女の人生は大変だ‼️』

「女の人生は大変だ」と最近つくづく思う今日この頃。ロストジェネレーションと呼ばれる第二ベビーブーム世代の人間はそれだけでも社会的にあまり恵まれていないというのに、私は更に女です。
4年生大学を卒業し、幸いにも女性でありながら就職はできました。何故ならその時代、就職氷河期でありながら人口は多く、更に4年生大学卒の女性の就職先など本当に少なかったのです。政府系銀行に就職が決まりました。営業部です。が、そこでまっていたのは、、融資金回収、回収できないからまた貸増し、担保や保証人もどんどん増やし、回収と貸増しの繰り返し。
そして銀行自体の多額の不良債権。その頃、多くの都市銀行や地方銀行が合併をし生き残りに必死だった時代です。
が、私の就職した政府系銀行は破綻しました。
日本の組織に疑問を感じていた私はそれを期に単身ロンドンに留学し、そこで約4年半暮らしました。何もかもが新鮮であると共に何もかもが不便でした。
「外から見た日本はなんて良い国なんだろう」
「何もかもが揃い、時間には正確、コンビニエンスストアはどこにでもある。ちょっとした手続きも何日もかける必要はない。何かを修理に出しても直る。」
ヨーロッパは全然違います。結局は自分でなんとかしなければならないのです。
ただその分、何をしても特別視される事はありません。
日本人社会では疎外視される様な事も別に
「ああ、あの人はあんなだから、いいんじゃない?」
で終わりです。
なので、日本社会で見た目と中身のギャップでいつも人から距離を置かれていた私にとっては楽と言えば楽でした。
でも生活習慣も文化も何もかも違う土地で女1人で生きるのは必死でした。できる事はなんでもやりました。生活するために。
いつの間にかヨーロピアンの友達も増え、聞いたり教えてもらったりしてなんとかなっていました。
必死に生活している内に気がつくと、4年がすぎていました。
英語もそれなりに上達し、海外生活で色々な事を学んだ私はふと、
「ああ、もうお腹いっぱい。」
と感じたのです。
「日本に帰ろう!帰ってこの経験を、自身の向上に絶対に生かして見せる」
という思いと共に日本帰国を決意したのです。
帰国する前に就職先を決めました。そして帰国、新しい職場で働き出したのです。

日本社会復帰と色々な弊害
日本で再び働き始めた私が1番先に感じた事は
「私はいつの間にか成長していた」
「まだ日本は変わっていない」
という事でした。海外生活を経て色々な経験をし、様々な知識や見解を得、視野が広がっていたのです。
ただ、やはりその時の日本の組織社会には馴染めませんでした。
自慢ではありませんが私は仕事で手を抜く事はしません。できる事はどんどんこなし、改善できるものはどんどん改善していく。というスタイルです。社内恋愛等もした事がありません。何故なら会社では仕事しかしていないからです。恋愛は常にプライベートでした。
「私の見た目と中身のギャップ。」
日本人の習性なのでしょうか。人をまず見た目で判断し、マイナス要素ばかりを見つけようとする。それでもマイナス要素が無ければやっと少し近づいて来る。
要するに私の場合、見た目でまず疎外視され、「仕事をちゃんとしている人」と思ってもらえるまでにとても長い時間がかかるのです。
それでも認めてくださる方なら良いです。私の知る限り、自分が見た目で判断した人間をずっとそのまま変わらない目で見続ける日本人がとにかくとても多く、そしてその固定観念を持ち続ける人がなんと多いことか。
私は私なりに常に努力し、最善を尽くし、一生懸命でした。でも、周りは変わらなかったのです。
そして、ある日思い出したのです。小学校の担任に何度も殴られ、蹴られ、言葉の暴力を受けていた事を。
次第にフラッシュバックを起こす様になりました。これがPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。その頃にはPMDD(月経前不快気分障害)も発症していました。

病の発症
気がつくとフラッシュバックも頻繁に起こる様になっていました。
PMDD もどんどん酷くなり、排卵前からネガティブ思考とイライラを繰り返すようになっていました。
要するに私の場合、月の4分の3はPMDD の症状が出ていたのです。
何も食べない日もありました。かと言って急にスイッチが入ったように怒り狂い、まるで家庭内暴力のような時もありました。
私自身、本当の私がどんな性格なのか自分でもわからなくなってきたのです。
そしてやっと辿り着いたのが心療内科でした。
私はとりあえずPMDD の治療のつもりだったのですが、下された診断は『うつ病』でした。
それもすでに『重度寄りの中程度のうつ病』まで悪化していたのです。
最初は実感がありませんでした。でも、うつ病について調べる内に、いちいち殆どが書かれている症状に当てはまるのです。その頃には身体的にもさまざまな不調を抱えていました。
それから約10年以上。話せばキリがないほど色々な出来事がありましたが、国際結婚をし、文化や考え方の違いで生じる事や、生活スタイルの違い等で夫との戦いを繰り広げています。ヨーロッパと日本を往復しながら、今もまだ病と付き合っています。負のサイクルから完全には抜け出せていません。
そんな日が来るのかどうかもわかりません。
「もっと気楽になりなさい」
何度も何度も言われてきた言葉です。
「そりゃ私だって気楽になりたい!いや、気楽に考えようとする。でも、一旦脳がカチカチになるともうどうにもならない!!」
私の心の声です。
「そりゃ誰もが気楽に生きたいさ!」私にはそれは一生無理かも知れない。
何故ならば、本当の「気楽」がどんなものか想像もつかないから。
それでも、挑戦と挫折を繰り返す。それが私なのだから。

女の人生
もし私が女でなかったなら、まず、PMDD になる事は無かったでしょう。
もし私が女でなかったなら、男尊女卑の残る日本社会で、見た目と中身のギャップで、疎外視される事も少なかったでしょう。
もし私が女でなかったなら、小学校時代の担任からの暴力でPTSDになる事も無かったでしょう。
私は思います。
『女の人生はたとえどんな状況に置かれていてもこの社会では大変なのだ』と。
結婚していてもいなくても。子供がいてもいなくても。仕事をしていてもいなくても。
女性が生きて行くというのは弊害が多いとつくづく感じます。
もちろん女性達自身が悪い方向へ持っていっている部分もあると感じます。
でも、男性がもう少し女性を知る必要があるのではないでしょうか。
それだけでも女性にかかる負担は少しでも減るのではありませんか?
「女性と男性は違う生き物だから」
それでも、この世では共存していかなければならないのです。
なら、男性はもう少し女性に歩み寄る心を持って頂けませんか?
そして女性はその男性の歩み寄りの心に感謝の気持ちを持ってみませんか?
私自身、病を患わなければこんな考えは発想もしなかったと思います。
「病」も悪い事ばかりではなく、「病と付き合っている」からこそ気づく事もあるのだと最近になってようやくそう思える様になりました。
「私の人生」これからもまだまだ蛇の道なのだろう。でも、世界から常に注目をされている日本が持つ発信力を発揮し、世界が変われば、これから女性の生き方も必ず変わります。存在意義も変わります。
そしてそれは、遠くない未来であると確信しています。その為に、日本国を誇りに思う心を取り戻してみませんか?必ず変わる。全てが。その時が来たら、私は口にするでしょう。
『そりゃ誰もが気楽に生きたいさ!』と。
Aya
追記
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